知的生産の技術2

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070111.jpg sakka.jpg

 昨日に続き、今日も午前中は除雪。やはり、吹きだまりができていてビニルハウスの片側に雪が寄っている。積雪は80cmになった。
 午後からはラナンキュラスの出荷に札幌の市場へ行ってきた。途中、当別周辺は地吹雪がひどく、路面もアイスバーンで滑りやすかったが、札幌は晴れ間も見えていた。
 雪雲の発生源は石狩湾。西風なら月形周辺。北風なら札幌周辺というように雪の降る地域が変わる。

<本日の出荷>
ラナンキュラス
 6色ミックス3箱
 5色ミックス2箱
 4色ミックス3箱
 3色ミックス1箱
 2色ミックス1箱
 ピンク1箱
 ホワイト1箱

donguri.jpg
 帰りがけにパン屋のどんぐりに寄る。
 正油パンやちくわパン、ベーコンエッグ、カレーパン等々を買い込む。これらは明日の朝食ということで・・・


 昨日紹介した梅棹忠夫著「知的生産の技術」の中で、「日記と記録」についての件がある。

「どういうわけか、日記には心のなかのことをかくものだという、とほうもない迷信が、ひろくゆきわたっているようにおもわれる。・・・(中略)・・・日記一般を魂の記録だと考えるのは、まったく間違いである。日記というのは、要するに日づけ順の経験の記録のことであって、その経験が内的なものであろうと外的なものであろうと、それは問題ではない。日記に、心のこと、魂のことをかかねばならないという理由は、何もないのである。」
「自分自身にむかって提出する毎日の経験報告なのだとかんがえればよいのである。・・・(中略)・・・その日その日の経験やできごとを、できるだけ客観的に、簡潔に記録しておくのである。もちろん、内的な経験を排除する必要はない。思想も、感情も、客観的に、簡潔に記録できるはずのものである」
「自分自身の経験の記録を、着実につくってゆこうというのは、資料の蓄積ということのもつ効果を信じているからにほかならない。・・・(中略)・・・技術の開発と発展のためには、成果よりも、それにいたるまでの経過の記録と、その分析がたいせつである。・・・(中略)・・・ぼう大な記録カードと日記の蓄積は、いわば個人のためのアルキーフ(文書館)である。」

 生きている以上、書くことは必ずあるということ。

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このページは、宮下勇作が2007年1月11日 18:06に書いたブログ記事です。

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